最後の出社
出社する最終日の朝を迎えました。
全くいつもと変わりのない食卓で、いつもと同じように朝食をいただきました。
実は昨日、妻が子供たちへ私が退職することを伝えています。
だから子供の様子が気になったのですが、いつもと同じ元気な姿で出かけていきました。
そして妻もいつもの朝と変わらない態度で私を見送りました。
会社へ向かう車の中でも感傷に浸ることも無く
「これで当分の間は会社のある方向へ出かけることは無いな、やれやれ」
こんな感想しかなかったですね。
会社に着いてロッカールームに入り、前日のうちに片づけておいたので制服だけが入るロッカーを開けて着替えました。
「この制服を着るのも最後だな」
そう思いながら、全身を映す鏡を見入っていた・・・
のならば小説にでもなりそうですが、全然全くこれっぽっちも思いませんでした。
この時私が考えていたのは
「今日は退職届を出したら用事は無いし、すぐ帰られるのかな?」
出勤日の最後も監禁状態
他に監禁部屋に通されている社員がいたので、今日も別室に通された私。
向かい合うように座った上司は
「おはよう、えっと、書いてきてくれたのかな?」
「はい、書いてますよ」
そう言って退職届を渡したら
「庶務の人間に見せてくるわ」
と言って退室していきました。
いつもなら、とにかく私を辞めさせたがっていたナンバーツーがいるのですが、今日はこの部屋にやってきていません。
なので私は一人でポツンと座っています。
そう言えば以前聞いたことがあるなあ、この会社って慰留することがない。
下手すれば退職届なんて書かずに口頭で
「辞めます」
で通じる会社らしいって。
上司と口論になり、頭に血が上りカッとなって
「バカらしい、こんな会社辞める!」
って言った言葉で、本当に退職になった社員もいると言います。
そういう会社なので、当然ですが誰も私を慰留なんてしません。
さっきの上司とのやり取りのあとに
「こんなクソ会社辞めたるわ!」
って言っても良かったんじゃないかなって、ふと思ったりもしました。
会社での最後の言葉は
しばらくすると、私の退職届を持って先ほどの上司が入室してきました。
「ごめん、悪いけど印鑑をもう一か所だけ押してくれる?」
それで印鑑を押したら
「今日はもう特に何もないから帰ってもらっていいよ」
「そうですか、じゃ帰りますわ・・・その前に一つ言う事があります」
「なに?」
「今回監禁されたのは新聞社からの問い合わせがあったためと聞いています。クレームなのか何かは知りませんが。それで結果はどうなったかも言わないのですね」
これで終わりです。
30数年働いてきた会社って、本当に冷たいなあって思いました。
本当は仲の良かった同僚にあいさつをして帰るつもりでした。
でも部屋を出てロッカールームに入ったとたんに気持ち悪くなってきたのです。
「ダメだ、この会社の空気を吸っているとおかしくなりそう・・・」
そう思ってそそくさと車で家に帰りました。
家に帰ってきた時間はお昼前、妻が私に
「出してきたの?」
「うん、出したよ。止められもせず、挨拶するわけでもなく30数年が終わりました」
この時点でもおそらく私が会社を辞めたことは広まっていないでしょう。
仲の良かった後輩の休憩時間にあわせて電話してみました。
「今日、退職届を出してきたよ」
「え・・・」
絶句したあとには、泣き声が伝わってきました。
しばらくして泣きじゃくりながら
「なぜ辞める必要があるんですか、何も悪いことしてないのに・・・撤回してくださいよ・・・」
この同僚の言葉を聞いてはじめて、私も何だかジーンときちゃいました。